突き刺すナイフ

イッセイです。心から血を流す思いの積み重ねから,私はやさしい気持ちを得たと思っています。傷ついた思いが多いからこそ,やさしく接することができるのだと思っています。

飛んでくるナイフ

30年近く前の教員2年目のとき,初めて担任した私には,「休み時間に女子クラスの1年生が教室で喫煙する」というのは,想像の範囲外のことでした。

そんな子は,周囲を巻き込みつつ,最後はどうしようもなくなって退学の道を選びました。

退学した子は傷ついていたことでしょう。

でも,私も傷つきました。

「もっとできたことはあったんじゃないか」と思っていることで,傷に気づけました。

その傷は,自分に飛んでくる〈避けようのないナイフ〉によるものです。

このナイフは生徒が退学するたびに,本数が増えていきます。

ナイフはときどき飛んできて突き刺さります。心から血がどくどく流れます。

飛んでくるナイフが見えるように感じる時もあります。その〈避けようのないナイフ〉が突き刺さったのが運転中だと,ハンドルに顔を埋めたくなるぐらいに気分が落ち込みます。

とても危険です。

ナイフを減らすには

ナイフを減らすにはどうしたらいいのでしょうか。

何人かの生徒が退学していく経験のなかから,「退学を決意した生徒を説得するのは不可能だ」と知りました。もしも翻意してもらうのならば決意する前です。つまり,「あの先生なら話してみようかな」と思ってもらえるような関係を築いておく必要があるのです。

そんな関係は,どうやったら築けるのでしょうか。

今の私は,「授業しかない」と思っています。

その子が満足する授業を提供することができていたら,その子と笑顔で接することができているでしょう。その子の笑顔は,私の笑顔になります。私の笑顔は,その子の笑顔になります。

授業や,ちょっとしたできごとでの私の反応を,生徒はよく見ています。人間性を鋭く肌で感じているように思います。

全てのときを積み重ねて,「話してみようかな」に繋がってくれたらなと願っています。

そして,私の場合は,その子が満足するたのしい授業を提供することができて初めて,その子の笑顔が見れるのです。

だから,授業こそ,話してみようかなにつながる道だと思っています。

気づくこと

それから,さまざまなことに気づけることも大事だなと,今までの経験で思っています。

「すべてを自分の責任と思っていては,やっていけない」からです。

2年目以降の私には,生徒の家庭環境も少しずつ見えてくるように,気づけるようになっていきました。

たとえば,入学して一ヶ月もたたないのにたくさんの騒動をおこしている子の家庭訪問をしたら,父は「厳しくしつけています」と言っていました。その意味は,「中学までは何でも思うままにさせていたけれど,高校になって言うことを聞かなくなったので,殴るようになった」ということが話を伺っていたらわかりました。

こんな積み重ねから,「子どもは学校だけでなく,家庭で育っている」という当たり前のことにやっと気づいていったのです。

それでも,油断すると「まだできたはず」と思い始めてしまいます。

とても危険です。

またナイフが飛んできますから。