『板倉聖宣の考え方』

イッセイです。研ぎ澄まされた刀を鑑賞したような文でした。教育の真髄を抜き出したかのようです。

板倉聖宣・犬塚清和・小原茂巳『板倉聖宣の考え方』(仮説社 2018年)

出張のお供に書棚から取り出して未読の本を持っていくことにしています。今日のお供は『板倉聖宣の考え方』にすることにしました。その行きの電車の中,食事後の時間,一日中ずっと世界に引き込まれていました。

ここに板倉さんはいる。

犬塚さんもいる。

その研ぎ澄まされた刀のような板倉さんの文は,犬塚さんに抽出され,小原さんに咀嚼されて,広がりを見せています。

3ページの話題が30こ連なっています。

読みながら,「ああ,そうでした。その通りでした」と何度も思いました。

これは,何度もこれから読み返さないといけない,魂の文の集まりです。

最近,私はこんな感想を生徒さんからもらいました。

太陽や地球のことで分からないことや知りたいことが知れたので楽しかったです。興味なかったことも興味をもって知ることができてよかったです。

授業書案《太陽と地球》に対する1年生の女の子の感想です。

もらった直後も,「すごい感想を書いてくれたなあ」と思ってはいました。

『板倉聖宣の考え方』30話「教育における明治維新・仮説実験授業」において,以下の文がありました。

真理は押しつけても真理に見えるけれども,真理として受け取られなくなります。だから,正義とか真理とかいうものは押しつけてはいけない。子どもたち一人ひとりが十分に納得できるような手立てを講じなければいけないのです。

これを読んで気づきました。

さっきの子は,十分に納得できたんだなあ。真理として受け止めたんだなあ。だから,興味なかったことも興味をもって知ることができたってことになったんだなあ。

なんて素晴らしいのだろう。そして,そんな素晴らしいことが私の実施する授業で起きていただなんて,,,。

そんな重大なことが授業で起きていたことに気づけていなかったんです。よかった,気づけて。

それで,あの子は,授業の時にまっすぐこっちを見ながら微笑んでくれていたんですね。

すてきだな。笑顔のために生きている。

すばらしいな。もっと笑顔になろっと。